海外「日本史に影響を与えてたのか!」 サムライと共に戦ったフランス人の存在に現地が熱狂

thumbnail image今回は、トム・クルーズさん主演の大ヒット映画、「ラスト・サムライ」のモデル(の1人)にもなった、フランス人陸軍大尉ジュール・ブリュネの話題から。ブリュネは、開国した日本との関係を深めるべく、第15代将軍・徳川慶喜との関係を強めたい思惑があった、ナポレオン3世の命を受け、対日軍事顧問団の副隊長として、1866年(慶応2年)に来日しました。軍事顧問団は横浜で幕府伝習隊を1年以上訓練。しかしその後の戊辰戦争で江戸幕府は明治新政府に敗北し、フランス軍事顧問団は解雇される事になります。そのためフランス政府は顧問団の召喚を命じたのですが、大半のフランス軍人が帰国する中でブリュネは、退役届などの書類を本国フランスに送った後に、榎本武揚率いる旧幕府艦隊旗艦開陽丸に乗り組みます。ブリュネは箱館(現在の函館)に渡ると、「蝦夷共和国」の創設などの面で旧幕府軍を積極的に支援。しかし新政府軍によって五稜郭への砲撃が始まると、旧幕府軍の敗北は確実なものとなります。そこでブリュネは部下全員に箱館を離れるよう命じ、五稜郭陥落前に、仏軍艦コエトロゴンに収容されました。帰国後はパリへ行き、原隊である第18砲兵隊に臨時職として復帰。間もなく普仏戦争が勃発すると現役に復帰する事が許され、駐オーストリア・ウィーン大使館付きの武官補佐官に。その後はパリ・コミューン鎮圧に参加するなどし、60歳の時に師団将軍に昇進した上で陸軍大臣官房長を務めています。1911年8月、パリ近郊の自宅で逝去。享年73。「ラスト・サムライ」の主人公のモデルは、実はフランス人だったという事実に、フランス人が熱狂。喜びの声のほか、ハリウッド(米国)への恨み節など、様々な反応が寄せられていましたので、その一部をご紹介します。「今こそ日本に感謝しよう」 インドネシア独立の英雄となった日本兵に再び脚光…

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