海外「日本は史上最も合理的だった」 日本を脅して開国させたペリーがなぜか日本で愛されていると話題に

thumbnail image嘉永6年(1853年)、代将マシュー・ペリー率いる、アメリカ海軍東インド艦隊の艦船4隻が、捕鯨船の寄港地開港への交渉を要求するため、フィルモア大統領の親書を携えて日本に来航しました。なお日本では主に、この事件から大政奉還までを、「幕末」と呼ぶ事が多くなっています。ペリーは日本遠征前に独自に基本計画を作成。「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点がある」としていた通り、軍艦の空砲を放ち幕府に圧力をかけるなど、実際に「砲艦外交」を実践しました。つまりは武力を背景に脅しを交えながら日本と交渉し、最終的には日米和親条約締結に結びつけたわけですが、翻訳元では、日本人から嫌われていてもおかしくないペリーが、実際には日本国内でその「功績」が高く評価されており、記念碑などが数多く存在する事が伝えられています(米国を含め、日本以外の国では無名である点も)。投稿者さんは、「力尽くで物事を進めたというマイナス面より、 プラスの影響を認めている日本人が多い」という印象を持っているそうですが、この投稿に対し、様々な反応が寄せられています。その一部をご紹介しますので、ごらんください。「日本では反逆者でも英雄なのか」 米メディアが西郷隆盛の生涯を特集し話題に…

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