私のお墓の前で、泣かないでください

thumbnail image母が亡くなって二年たち、今日は兄夫婦と妹夫婦とお墓参りに行ってきました。本当は三回忌で、法要の予定でしたが、兄夫婦と、妹夫婦と相談の上、もう形だけの法要はやめようってことになりました。お寺にも行かず、軽装でお墓参りをして、5人で会食。私は、形だけの法要より、これで良かったと思っています。祖父の時代から、続いていた檀家ですが、それもいずれぬける予定です。とにかくお金のことしか考えていないようなお坊さんだったのです。私はクリスチャンなのでお墓にも仏壇にも先祖の霊はいないという考えを持っています。私自身もお墓に入るつもりはなく息子には伝えてあります。それでも、今日はお墓の前で手をあわせ、やはりおごそかな気持ちになりました。今後は、兄夫婦に先祖代々のお墓の墓守を任せることにしました。千の風になっての歌が流行った時に、その通りだと思いました。私のお墓の前で泣かないでください私のお墓の前で、泣かないでくださいそこに私はいません、眠ってなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。そこに私はいない、眠ってなんかいない、千の風になって見守ってくれていると歌詞を聞いた時はジーンとしました。昔、父の法事でお坊さんに聞いた話。お墓参りは、実は自分のために行くということ。先祖のためではなく自分のため。お墓参りに行ったという自己満足を得るためなんだそうです。私はお墓参りに行かないと、ご先祖さまに怒られるからとか、ご先祖さまは守ってくれないとかの思いや、義務感で行くならそれは意味がないと思っています。お坊さんはお墓参りに行かなくてもよいと言っているのではありません。お盆やお彼岸にお墓参りに行き、ご先祖さまを思うのはもちろん大事だけど、その時だけでなく普段からご先祖さまや先に亡くなった家族を思い出し、そして感謝することが大事だと。それが故人の一番の供養になるともおっしゃっていまし…

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