今から25年前、義父の介護を経験しました。義父は、末期の肝臓がんを患い、3カ月の闘病の末、亡くなりました。私は、当時37歳、自分でもよくあんなことできたなと思います。あの時代は、現在のように介護制度もなく、介護ヘルパーもいなかったので、介護は家族の役目だったのです。モラハラ夫の命令で、義父の介護をする私はその時、専業主婦だったので、毎日義父が入院している病院に行き、介護をしました。まず本当に苦痛だったのが、おむつ替えです。義父だっていやだったと思います、30代の嫁におむつをかえてもらうなんて。毎回、何しやがるんだ、やめろと怒鳴られながら、泣きそうになりながらやっていました。ベッドの横に、簡易トイレがあって、そこに座らせるのも大変で、何度も一緒に倒れそうになりました。そして食事介助。病院食にあきた義父はなかなか食べてくれませんでした。そばなら食べるというので、そばに変更してもらったこともあります。そしたら今度はそばにあきて、大量に残します。私にもったいないから食べろとすすめてきて、仕方なく食べたことも。三か月が限界モラハラ夫も、まるで任務のように、毎日お見舞いに行っていたので、ストレスも疲れもたまっていたと思います。何を考えているのか、余命宣告を受けていた父親に怒鳴り散らしたことも。娘は、当時幼稚園に通っていたのですが、幼稚園の後は、保育ママに預かってもらい、私は病院に通っていました。とにかく神経も身体もボロボロになる介護で、夫も私も限界を感じていました。義父にはガンであること、余命いくばくもないことは伝えていなかったのですが、なんの治療もしなかったので、もう自分が長くないことを悟ったようです。どんどん生きる気力をなくしていきました。頭痛がひどくなり、モルヒネを投薬することなってから、寝ている時間が増えていきました。起きている時は、変なことばかり言うようになりました。「そこが…
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モラハラ夫の命令で、義父の介護をする、死ぬほど嫌だったオムツ替え
