朝ドラ「ブギウギ」 笠置シヅ子と最愛の人“吉本穎右”との出会いから○○までを【史実】と共に解説!更に新説「シヅ子のマネージャー2人説」も!!

thumbnail image©NHK「笠置シヅ子とその楽団」解散理由は、Mg中島信の裏切り!?【注意】以前の記事で書いたことは省略させていただきます。※以下、敬称略朝ドラ『ブギウギ』の “福来スズ子” のモデルである笠置シヅ子が、“羽鳥善一” のモデルである服部良一の援助を受けて、松竹楽劇団(SGD)を退団し、独立したのが、昭和16年(1941)。その後、“茨田りつ子” のモデルである淡谷のり子の紹介で、中島信がマネージャーとして加わったのが『笠置シヅ子とその楽団』。服部良一プロデュースで「ブルースの女王 VS ブギの女王」のイベントが開催されて人気を博したが…このころから戦争の足音が強まり、シヅ子は敵性音楽歌手の代表というレッテルを貼られてしまう。当局の厳しい監視によって東京での営業活動が厳しくなった楽団は、地方巡業や全国各地の工場慰問などを行い、苦しい戦争の時代を凌ぐでいくことになる。しかし、戦局はますます悪化し、ついにマネージャーの中島信は、シヅ子に無断で楽団をほかの興行主に売却して、夜逃げしてしまう。これをきっかけに、「笠置シヅ子とその楽団」は解散する。スズ子、愛助、五木、トミのモデルをおさらいしておこうさて、ここまでは以前にも投稿した内容も含まれているが。ここからは、今回の投稿が初めてだと思う。おさらいしておくが…朝ドラ『ブギウギ』の “五木ひろき” のモデルは、淡谷のり子の紹介でシヅ子が雇った中島信なのは間違いない。ここで、[史実]に登場する新キャラを紹介する。その名は「山内義富」だ。以前の投稿でも書いたが。1945年5月、シヅ子が京都巡業中の東京大空襲で三軒茶屋の自宅を焼失、無一文状態になった。同居中の父・音吉は住む家がなくなったため、故郷の香川に帰った。…

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