父の命日でした。ついこの間のことのように思うけど、もう10年たっていました。私は父の死に目にはあえず、母にいたってはコロナのせいで、一人ぼっちで旅立っていきました。コロナ禍となり、親の死に目にあえなかった人は多いかもしれませんが。母は、父の介護をブツブツ言いながらも、ずいぶんつくしていたと思う。母の老後は、父の介護をすることが知らず知らずに生きがいになっていたのかもしれません。父が亡くなってからは急激に衰えていった母です。老人性うつ病から認知症へと移行していきました。そういえば母は、何もすることがなくなってからボケ始めた・・・高齢の常連のお客様が、コロナ禍の影響なのか、たくさんの方がみえなくなりました。みなさん、どうしているのか、老人ホームに入られた方もいるのかもしれません。人は老いていく、そしてできないことが増えていく。たくさんの高齢者…mihomiho0109.com2021.11.18誰かのお世話をしていた時間が、一番幸せだったのかもしれない最近、息子と二人暮らしをしていた頃は楽しかったな~とよく思い出します。夕飯のメニューは、だいたい息子が食べたいものを考えて、いかに安く大量に作るかを考えていた気がします。二人で暮らしていたころは、早く自立してほしいと思っていたし、もう出ていっていいよ~なんてよく葉っぱをかけたものです。もうあの頃には、戻れないんだと思うと寂しい気持ちになります。職場の67歳の同僚は、高齢のお母さんの介護をしながら仕事をしていました。とても大変そうでした。介護が大変すぎて、もう死んでいいよなんて言っちゃったこともあるそうです。喧嘩ばかりしていたみたいだけど、お母さんは最後にありがとうという言葉を残して自宅で亡くなりました。介護で支え続けた娘には、心から感謝していたのだと思う。お母さんの介護が生きがいだった彼女が、立ち直るのには、すごく時間がかかり…
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