本当にそれは“死や病”でしか<ドラマ>で描けないのか!? ※昨夜の『君が心をくれたから』『春になったら』の感想について

thumbnail imageはじめにしばらく、下記の事情でいつもの感想と違います(謝)未明に、いとしの妹が旅立ちました… 昨夜の『君が心をくれたから』『春になったら』の感想について以前から書いていることとして。特に、誰もが日常的に見る機会が多い「地上波ドラマ」において…主要登場人物の “死” や “病” を軽々に扱うのは辞めるべきだと。作り手は、簡単に設定に盛り込むことで、お涙頂戴ドラマとなり、多くの「泣けるドラマ=感動作」という安易な視聴者を大量に獲得できるから、後を絶たないわけだが。そもそも、これ、視聴者としてバカにされていると、そろそろ本気で気づいたほうが良いと思う。もちろん、作家として “死” や “病” に、何らかの “意味や価値” を持たせたいとか。それがないと描けない… ことも、あるとは思う。でも、本当に“死” や “病” でしか、それが描けないのか? 本当に精査したのだろうか?そう思ってしまうのは、今期を含め、ここ数年、その類が乱立しているからだ。そして、それらのほとんどが、ヒューマンドラマ以下で。もはや、お涙頂戴にもなっていない、ただの不幸を描いただけの悲観と悲愴満載の…作り手たちの自己満&自己チュードラマばかり。従って、昨夜の『君が心をくれたから』なんてお話にならないし。『春になったら』に関しては、気持ち次第で後日書くかも… ということで。あとがき 本日、告別式となりました。 しばらくの間は、ブログの投稿は変則的になると思います。 申し訳ございません。 また、「忍者ブログ」さんのシステム上、この記事だけ Web拍手を外せません。 …

このサイトの記事を見る

タイトルとURLをコピーしました