「登山は基本的に自己満足の世界」…それでもなぜ、一流クライマーによる“疑惑の登山”はなくならないのか?

 登山と嘘は、相性がいい。「疑惑の登山」。世界の登山史の中には、そんな風に呼ばれる記録が散見される。なぜか。登山には審判がいないからだ。登頂したか否かは、言ってみれば「自己申告制」だ。つまり、完全なる性……

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