誰かがどこかで感動している

thumbnail image 野草の生命力と美しさにいつも感動させられるのだけど、野草は野草であるだけで、誰かがどこかで感動してるなんて思わないよね。 ただ「スミレはスミレ」なだけ。 人も同じだった。 だた淡々と、黙々と生きているだけで、誰かがどこかで密かに感動しているだなんて、想像しているだろうか。 朝、4時20分に家を出て、いつもの速度でスタスタ歩き、いつものコンビニの手前の交差点で、毎回すれ違う大型トラック。 初めは偶然かなと思っていたけど、私が少し遅れて家を出ると、そのトラックはコンビニに止まっていて、荷物を搬入しているし、私が少し早めに家を出ると、コンビニで珈琲を淹れている時に、トラックがやってきて、お兄さんが荷物を持って入ってくる。 途中で気が付いた。毎日毎日一分も違わずに同じ時刻にやってくるんだ。 大きなトラックで、遠くからやってきて、色々な場所に荷物を搬入していくのだろうに、なんて正確にやってくるんだろう。正にプロだね。って感動したの。 気付いて以来、コンビニの手前の交差点で、トラックとすれ違う瞬間がたまらなく楽しみで、私も4時20分ぴったりに家を出る。 暗い中、交差点の手前で、トラックの音、ヘッドライトの明かりが近づいてきて、交差点の角でトラックとすれ違う時の感動。 今日も仕事頑張ろうって思うの。変かな。 トラックのお兄さんは、私がいつも元気をもらっていることをもちろん知らない。ただ、淡々と仕事をしているだけなんだ。  息子さんが、「自分は何にもない」ってネガティブ思考に陥っている時、この話をしてね、 「息子さんも知らないだけで、誰かを感動させてるかもしれないよ」って話したの。 私は何度も息子さんに感動させられているのだけどね…

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