ソ連の侵攻、手渡される青酸カリ、定員の4倍を乗せて沈没も辞さず…終戦の日「から」激烈化した“日本人避難計画”

 日本最北端の町・稚内は、国境の町でもある。もちろん国境線を挟んで直接他国と接しているわけではない。ただ、宗谷海峡の向こうには、ロシア・サハリンがある。稚内の空が澄み渡る時期は秋口のほんのわずかな間だが……

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