神田沙也加さんの遺骨を松田聖子が持ち帰った

thumbnail image 急逝した一人娘を迎えに、とうの昔に別れた二人は極寒の北の大地へと足を運んだ。無言の対面を果たした後、荼毘にふされた娘の遺骨を持ち帰ったのは、睦まじい間柄の父ではなく、生前、確執があるとされた母親の方だった。それはいったい、何を物語るのか……。 *** 雪に覆われた街を抜け、昨年12月21日午後、北海道・札幌市郊外に建つ里塚斎場へと入った霊柩車の助手席には、松田聖子(59)が座っていた。彼女の手には一人娘で、35歳の若さで旅立ってしまった神田沙也加の名が刻まれた位牌があった。 火葬が終わった後、骨壺を抱えた神田正輝(71)は、「近親者のみでお別れをして、お骨にすることができました」 と話し、彼の傍らで位牌を手にした聖子は、「本当に皆さま、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」 と、ふりしぼるような声を出して頭を下げた。 24年前の離婚以来、二人だけでカメラの前に並び言葉を発したことはなかった。奇しくも娘の死で顔を合わせることになってしまったわけだが、元夫より一足先に羽田へと降り立った聖子は、胸元に骨壺を抱き、迎えの車に乗り込んだ。報道陣の前では神田が手にしていた骨壺を、なぜ彼女が一人持ち帰ることになったのだろうか。■紅白辞退の舞台裏 振り返れば、主演を務める舞台「マイ・フェア・レディ」の公演で北海道に滞在していた沙也加は、18日、札幌市内中心部に建つホテルの高層階から転落死した。急逝の一報を受けて、共演していた俳優の前山剛久(30)が、彼女と結婚を前提に交際していた旨を明らかにしたが、騒動は思わぬところに飛び火する。 沙也加が命を絶った要因の一つに、前山が元カノと関係を続けていたことに悩んでいたと「週刊文春」が報じ、ネットを中心に沙也加へ同情を寄せる声と前山へのバッシングが巻き起こったのだ。予期せぬ娘の死と世の喧噪に、最も心を痛めているのは他ならぬ神田と…

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